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名古屋地方裁判所 昭和48年(ハ)2838号 判決

原告

宮田好春

原告

宮田忠明

原告

宮田章代

原告宮田知子章代、知子右二名法定代理人親権者父

宮田好春

右四名訴訟代理人弁護士

服部豊

被告

竹内産婦人科医院こと竹内恒正

右訴訟代理人弁護士

後藤昭樹

太田博之

右訴訟復代理人弁護士

立岡亘

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告宮田好春に対し金四七六万五六一六円、原告宮田忠明、原告宮田章代、原告宮田知子に対し各金二六四万三七四四円及び右各金員に対する昭和四九年一月二〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告宮田好春(以下原告好春という。)は亡宮田ユキエ(以下ユキエという。)の夫であり、原告宮田忠明(以下原告忠明という。)、原告宮田章代(以下原告章代という。)、原告宮田知子(以下原告知子という。)はいずれも原告好春とユキエとの間の子である。

(二)  被告は肩書住所地において竹内産婦人科病院(以下被告病院という。)を経営している産婦人科医である。

2  診察契約の締結

ユキエと被告は昭和四八年七月三一日(以下、単に月日のみを記す場合いずれも昭和四八年のことである。)、ユキエが被告病院に入院するにあたり、入院の当初から退院に至るまで胎児の生命の安全を図り、母体の健康状態に留意して、母体の生命保持のために適切な診療行為を行なうことを内容とする診療契約を締結した(以下本件診療契約という。)。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがなく、同2(本件診療契約締結)の事実は被告において明らかに争わないので自白したものとみなす。

二診療の経過

請求原因3の事実のうち、ユキエが七月三一日午前一一時三〇分頃被告病院に入院したこと、入院時にユキエには腹痛のほか出血が認められ、脈搏は毎分一〇〇、血圧は八〇−四〇とかなりの低血圧で強い貧血症状を呈していたこと、被告はユキエが容易にショック状態に移行する恐れがあるとして、カルテに「貧血強く、帝王切開はショック生命危険のおそれ」と記入したこと、ユキエの右症状の原因は早剥の疑いが強いと診断したこと、ユキエが午後三時頃病室において出血したこと、その量についてカルテに「病室にて一〇〇」と記載したこと、午後三時頃看護婦らがユキエを二階の病室から一階の分娩室に移動させたこと、カルテの八時三〇分の欄に「出血少し」という記載があること、脈搏数については、午後八時一〇分一〇〇、午後八時三〇分一一〇で入院時と同様高かつたこと、ユキエは入院以後自然排尿がなかつたこと、ユキエが午後九時三五分に輸血もなされないまま死亡したこと、被告の説明では死亡原因は、早剥による失血死ということであつたことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1  ユキエは原告好春と昭和三九年一一月結婚し、昭和四〇年八月に長男原告忠明を、昭和四四年一月に長女原告章代を出産し、昭和四六年一月には被告病院において二女原告知子を出産した。

2  二月二二日ユキエは被告の診察を受けたところ妊娠初期にあり、分娩予定日は八月二二日と診断され、以後七月一六日まで定期的に被告の診察を受けたが、その間何ら異常はなかつた。

なお右各診察時におけるユキエの血圧は初診時二月二二日が一一〇−七八、三月二九日一〇二−六八、五月一二日一二四−五八、六月八日一〇〇−七八、六月二六日一二〇−九〇、七月一六日九六−四八であつた。

3  七月三一日午前一一時三〇分頃ユキエは被告の診察を受け、被告に対し、腹部に痛みがあり、膣から少し出血があることを訴えた。

ユキエには右症状のほか、目まい、貧血、浮腫も認められ、血圧は八〇−四〇と低血圧で脈搏数は一〇〇と多く、尿検査の結果は尿蛋白がプラス一度であつた。

ユキエの腹部は通常よりも膨張して圧痛があつたが、子宮底長は三二cmで特に高くはなかつた。胎児の心音を聴取しようとしたが児心音を聴くことはできず、内診では外子宮口は二横指大まで開大して分娩の徴候があり、出血の程度は内診指につく程度であつた。

又胎盤を探つたが、胎盤には触れることができず、前置胎盤でないことが確認できた。

4  右診察の結果、被告は確定診断には至らなかつたが、早剥の疑いがあり、胎児もすでに死亡している可能性があると判断し、そのことをユキエに話すとともに直ちに入院を指示し、同女もこれを了解した。そして外来診察室においてユキエに止血剤であるビタミンK2を二本注射した。

この時点で、被告は帝王切開によつて胎児を娩出させるか、あるいは経膣分娩を試みるかいずれの方法を採用すべきかを考慮したが、帝王切開によることは、ユキエが低血圧で貧血が強い点からみてショック症状を誘発し、同女の生命に危険が及ぶ可能性が強いと考えて経膣分娩の方法を選んだ。ユキエは右診察後被告病院二階の二八号室の病室に入つた。

5  午前一一時四〇分頃、ユキエに輸血が必要となることも考えて岡崎市内のミドリ十字に対して輸血用の保存血四〇〇mlを注文し、他方ユキエに対しては昇圧剤であるノルアドレナリンを五%ブドウ糖液五〇〇mlに混入して約一時間をかけて輸液を施した。

午後一時には陣痛活発剤であるアトニン〇五単位を五%のブドウ糖液五〇〇mlに混入して輸液し、午後一時三〇分にはエホチール(昇圧剤)一ml二本を、午後二時三〇分には又ビタミンK2二本を注射した。

午後一時過ぎユキエの母親山本しめがユキエに付添つた。その後ユキエは嘔吐し、それからしばらくして同女が「水が下りたようだ。」と言うので山本が見ると、膣部にあてていた脱脂綿が出血で汚れていた。そこで看護婦を呼んだが、看護婦の話では心配はないとのことであり、その処置としては脱脂綿を交換したにとどまつた。

6  午後三時頃ユキエに出血があつたが、その量は脱脂綿・寝巻を通してベッドのシーツにしみを作る程で、被告はそれを見て、約一〇〇mlと判定した。その際の被告の内診では、ユキエの外子宮口は三横指大に開大しており、右出血は早剥によるものと考えられたので、ショック防止のためプレドニゾロン(副腎皮質ホルモン)二〇mgを注射した。そして被告は今後のユキエに対する処置の便宜を考え、午後三時同女を病室から分娩室へ移動させた。なおこの時点までのユキエの血圧の測定結果は別表(一)記載のとおりである。

右のとおり、ユキエの血圧はかなり低かつたので血圧を一〇〇以上にあげるため、午後三時一〇分からハルトマンD50(貧血用の薬剤)五〇〇mlを点滴により輸液し、午後四時一〇分には、ミドリ十字から届けられた保存血二〇〇mlを一本、又、午後五時から更に二〇〇ml一本をそれぞれ三、四〇分かけて点滴により輸血した。

そして午後五時一八分には輸血と併行してフィブリノーゲン(止血剤)一g(五〇ml)三本を混入したサヴィオゾール一〇〇〇ml(五〇〇ml×2)の点滴による輸液を開始した。分娩室移動後の血圧の測定結果は別表(二)記載のとおりであり、血圧はやや上昇してきた。被告は右処置を講じたうえでユキエの子宮口が開くのを待つたが、午後六時頃ようやく子宮口が四横指大(五・六cm)まで開いたので、ユキエの鼻孔にゴム管を入れてO2を供給しつつ、鉗子によつて死亡した胎児を娩出させた。胎児は男子で体重は三四〇〇gであり、娩出された胎盤の約三分の一の面積に凝固した血液の付着が見られ、被告の見当では、その量は約五〇〇mlであつた。分娩時の出血量は膿盆で測定したところでは約一〇〇mlであり、入院以後この時点までに被告が確認したユキエの出血量は被告の測定ではおおよそ七〇〇ml(病室内一〇〇ml、分娩時一〇〇ml、胎盤付着凝血五〇〇mlの合計)であつた。なおユキエは入院時の尿検査後分娩時まで自然排尿は全くなかつた。

血圧は分娩直後が九〇−四五で午後六時一〇分八八−四五、午後六時三〇分には九八−五八であつた。午後六時三〇分、被告はスパーテン(子宮収縮剤)一ml二本とコアグミン(止血剤)一〇ml二本を注射した。分娩後の被告の触診ではユキエの子宮収縮は意外に良好であり、子宮底の高さは臍下二横指であつた。被告は分娩後も約三〇分余り分娩室にいてユキエの経過を観察していたが、同女の一般状態が意外に良かつたので、分娩の前後を通じて続けていたサヴィオゾール五〇〇ml一本の点滴が終了した時点で分娩室を退出した。その際被告は更にサヴィオゾール一筒五〇〇mlの点滴を追加し、神谷助産婦と菊池看護婦に対し、右点滴が終了した時点でユキエの血圧、脈搏の状態がよければ病室へ移動させるようにとの指示を与えた。

その頃家族の者が分娩室に入り、夫の原告好春が声をかけると、ユキエはうなずいていた。

午後七時三〇分頃輸液が終了したが、それまでの間神谷助産婦の触診では、ユキエの子宮の収縮状態は良好であり、分娩後はほとんど出血がなく、順調に回復していると判断されたことから、前記被告の指示に従い、ユキエを分娩室から病室に移した。

ユキエを病室に移すにあたつて、階段まではストレッチャーで、階段から病室までは神谷助産婦と菊池看護婦が抱きかかえて運んだ。

病室に移動直後の血圧は九八−四〇であつた。午後七時四〇分頃、ユキエは「下りた。」と出血を訴えたので、山本しめは看護婦を呼び悪露交換をして貰つた。その時の出血量は特に異常というほどのものではなかつた。

神谷助産婦、菊池看護婦は、定期的にユキエの血圧を測定して、異常があれば報告するようにとの被告の指示に従い、約三〇分おきにユキエの血圧を測定していたが、午後八時一〇分神谷助産婦による測定結果は血圧一〇二−六五、脈搏数一〇〇であり、又T字帯をはずして出血状況をみても特に多いということはなく、ただ尿については分娩後も自然排尿がないとのことであつた。

菊池看護婦が八時三〇分にユキエの病室へ行つたときは同女は安眠しており、血圧は九八−五〇、脈搏数は一一〇で、少し出血がみられた。

午後九時のユキエの血圧は九〇−三〇であつた。菊池看護婦が右測定を終えて宿直室に戻つた直後、ユキエは「ウオー」という叫び声をあげ、手足をけいれんさせ、身体は硬直しショックに陥つた。

被告は菊池看護婦の連絡を受けて、直ちに駆けつけたが、その時ユキエの顔面は蒼白で苦悶、不安の表情を呈し、意識は混濁していた。血圧の測定は不能で脈搏数は一二〇以上であり、ユキエは虚脱状態になつていた。

被告はエホチール(昇圧剤)を注射し、人工呼吸と併行して酸素吸入を行なう一方、ひじの内側を切開して静脈を確保し、止血剤、強壮剤を静注したが、トヨタ病院から到着した保存血を使用しないうちに、午後九時三五分ユキエは死亡した。

表(一)

時刻

最高血圧

最低血圧

測定場所

11:30

80

40

診察室

11:40

72

28

病 室

11:50

70

30

12:00

85

50

12:10

87

50

12:30

78

30

13:00

78

30

13:10

70

25

13:20

72

28

13:30

70

20

13:40

75

30

14:00

75

30

14:20

80

32

14:30

78

32

14:50

75

30

表(二)

時刻

最高血圧

最低血圧

測定場所

15:00

70

30

分娩室

15:10

78

35

15:30

78

30

15:40

82

35

16:10

90

60

17:18

95

55

三ユキエの死亡原因

ユキエのショックは、以下に考察するとおり早剥ないし羊水栓塞症を基礎疾患とするDIC(血管内血液凝固症候群)によつて発生した呼吸機能不全、急性心不全、脳出血等の臓器障害か、羊水栓塞症または、不完全子宮破裂による失血死のいずれかが原因であると認めるのが相当であるが、そのいずれであるかを確定するに足りる証拠はない。

1  DIC

〈証拠〉を総合すれば、

(一)  DICとは何らかの原因(例えば子宮内圧の病的な上昇など)で血液凝固亢進物質(胎盤や羊水中に存在するトロンボプラスチン、胎脂、胎便等)が血中に流入することにより血液の凝固性が亢進して血管内血液凝固が起こり、主として微小循環系で多数の微小血栓が形成されて、末梢循環障害が生じ、臓器の出血性壊死や機能障害を引き起こす一方、二次的に、血管内血液凝固によつて血中の各種血液凝固因子が消費される等の原因により血液が非凝固性となり、止血障害を引き起こす疾患である。DICによる止血障害がある場合に出血巣が存在すると容易には止血し難い出血を伴い出血性ショックの原因ともなる。

産科的に起こるDICは早剥、羊水栓塞症等の特定の産科疾患にのみ併発し易い。

早剥とは、常位胎盤が何らかの原因、多くは胎盤の血管の異常により、胎盤の一部が子宮壁から剥離する疾患であり、剥離が胎盤中央に生じたときは、剥離面から出血した血液は剥離胎盤と子宮壁との間に胎盤後血腫を形成し、胎盤剥離を一層助長する一方、子宮外へ流出し難い血液は子宮壁内に浸潤し、その結果、かなりの循環血液量が出血として失なわれるもので、早剥のときは、胎盤や羊水中に存在するトロンボプラスチン、胎脂、胎便等の血液凝固亢進物質が母体血管内へしばしば流入するため、DICが発症するものと考えられている。

(二)  DICが発生した場合、血液性状の変化として、いわゆる出血性ショックの形をとるのが通常であり、臓器の変化としての胃、肺、肝、消化器などの虚血性組織壊死による乏尿(急性腎不全の発症による)、血尿、呼吸困難、チアノーゼ等多彩な症状をも呈する。

DICと診断する上で重要なことは基礎疾患(早剥等)の存在に留意してDIC合併の可能性を考えることであり、右の臨床症状に注意し、出血時間、全血凝固時間、赤沈の測定等の簡単な検査をなすことによつて、かなり確実にDICを診断することができる。

以上の医学的知見が認められる。

前記認定のユキエの症状を右医学的知見に照らし更に〈証拠〉を参酌して検討すると、入院時ユキエは腹痛及び膣からの出血を訴え、貧血、目まいの症状が認められ、血圧は八〇−四〇、脈搏数一〇〇で貧血に起因する所見があつたこと、腹部は緊満し圧痛が認められ、児心音は聴取できなかつたこと、入院時の尿蛋白、浮腫の症状は妊娠中毒の症状と考えられること、死産であり、娩出された胎盤の母体面にかなり多量の凝血が付着していたことは、いずれも早剥の症状に合致するものであり、ユキエは入院時において早剥であつたと認定されるところ、ユキエは午後九時頃叫び声をあげて急激にショック状態に陥り、短時間に死に至つたこと、入院時に排尿した以後は、自然排尿は全くなく乏尿の状態にあり、急性腎不全の発症が疑われることからみて、早剥ないし羊水栓塞症(羊水栓塞症については後述する。)を基礎疾患とするDICによる臓器変化としての致死的病変である呼吸不全ないし急性心不全が発生した可能性が高いと認められる。

もつとも〈証拠〉によれば、DIC発症の場合には特有な出血傾向が現われるのが通常であるにもかかわらずこのような出血傾向のない本件はDICとして稀なタイプであることが指摘されているが、〈証拠〉によつても、出血傾向は二次的に発生するものであり、それに至らない間に急激な臓器変化が生じ死に至ることが理論上あり得ることが認められるので、本件がDICによるショックである可能性を否定することはできない。

2  羊水栓塞症

〈証拠〉によれば、

羊水栓塞症とは、血管内に羊水が入り、羊水成分が肺の細動脈や毛細血管内で栓塞を起こし、ショックを起こすものである。その発生には相当量の羊水が母体血中に流入することが必要であるが、早剥の場合母体血管の露出とそれに伴う破水により母体血管内への流入は可能である。羊水栓塞症は稀な産科合併症の一つであり、多くは突然発症し、経過が極めて急速でかつ不幸な転帰をとることが多く、本症の従来の報告例ではほとんどが一時間以内に死亡しているが、軽症例では必ずしもそうではなく、数時間以内に突然胸内苦悶を訴えて死亡することもある。羊水栓塞症においてもDICを伴い出血傾向が出現するのが通例であるとの医学的知見が認められる。右医学的知見に照らして前記認定のユキエの症状の経過を検討すると、ユキエは午後五時一〇分に破水し、午後六時に胎児が娩出されていることからその間に羊水が母体内に流入した可能性があること、ショックが発生したのは分娩後三時間経過後ではあるが、急激にショックに陥り短時間で死に至つた状況は羊水栓塞症のそれに合致していることからみて、本件が羊水栓塞症であつた可能性も否定できない。

3  不完全子宮破裂による失血

さらに、〈証拠〉によれば、子宮口が充分開大されないまま鉗子分娩が行なわれた場合、子宮下部あるいは頸管に裂傷が生じ不完全子宮破裂が起こることがあり、この場合、児が産道を通過し、産道を圧迫するため、又分娩後の子宮収縮のため裂傷部よりの外出血は少なく断裂した血管からの出血は腹膜外へと出血し、失血死に至ることがあることが認められる。

本件では四横指大の開口で鉗子分娩が行なわれ、子宮収縮は良好でその後の外出血も少なかつたこと、分娩後の血圧に余り異常がないのに脈搏が頻脈であつたこと、〈証拠〉によれば、前記ユキエがショックに陥つた際示したような胸内苦悶の症状は、循環血液量が足りなくなり心臓が空回りを始める場合にも呈することからすると、ショックの原因として不完全子宮破裂による失血死の可能性も否定できない。

4  弛緩性出血の可能性

なお、被告は、本人尋問において、ユキエの死亡原因は、弛緩性出血による失血死である旨供述しているが、〈証拠〉によれば、

弛緩性出血とは、何らかの原因により分娩後子宮筋の収縮が妨げられ、特に胎盤付着の部位の血管に収縮が起こらず、大量の出血を来たすものであるが、早剥の場合、分娩後にしばしば弛緩性出血を合併し出血性ショックになることがある。その原因として、早剥は胎盤剥離部に出血するが、この出血は内出血が主体で子宮内圧が病的に上昇しそれに伴つて子宮筋は過度に伸展し、子宮筋の断裂が起こり、子宮筋層内溢血が発生して子宮筋の収縮作用が障害され、分娩後に子宮が収縮せず出血が持続することにあると考えられる。従つて早剥に合併する弛緩性出血は胎盤娩出後直ちに出血が開始し持続する。

以上の事実が認められる。

従つて、本件において弛緩性出血が起こる可能性はあつたとはいえるが、前記認定のとおり分娩後一時間半は出血はほとんどなく、子宮の収縮は良好で、子宮底の高さは臍下二横指であり、その後の病室における出血も多量ではなかつたことからすると、弛緩性出血があつたとは考え難い。

四被告の診療行為における債務不履行又は不法行為上の過失

1  請求原因5(一)(輸血用血液の不確保)の主張について

右主張はユキエの死が大量出血による出血性ショックを原因とするという前提のもとに、そのショック治療のために輸血用血液をあらかじめ確保しておくべき義務があつたという趣旨であると解されるところ、前記認定のとおり、ユキエの死亡原因の一つとして、不完全子宮破裂による失血も否定し難いとはいえ、右原因であつたと確定するに足りる証拠はなく、寧ろ非出血性ショックであつた可能性が高いうえ、〈証拠〉によれば、不完全子宮破裂の場合、外出血は少なく、断裂した血管からの出血は腹膜外へと出血するため、診断不能のことが多く、ショックとなつて種々の診察の後に気付かれるのが殆んどであると認められるので、被告が不完全子宮破裂との診断をしなかつたこと及びそれによる大量失血に備えて輸血用血液をあらかじめ用意しておかなかつた点において被告に診療契約上の債務不履行又は不法行為上の過失があつたということはできない。

2  請求原因5(二)(分娩方法の選択)の主張について

〈証拠〉を総合すれば、早剥の治療は、できるだけ早く子宮内容物を取り出すことであり、それによつて弛緩性出血、DICの発症を防ぐことができるが、その方法としては帝王切開と経膣分娩がある。そのうち帝王切開の方法によるか否かは初産か経産か、子宮口の開大程度、子宮口の硬軟、児頭の下降程度、早剥が発症してからの経過時間、DIC合併の有無、DICの程度、妊娠中毒症の程度、胎児の大きさとその生死、人的、物的設備の態勢等を総合判断して決められるべきであることが認められる。

本件において、ユキエは前記認定のとおり三回の経産婦であり、午前一一時三〇分の時点で子宮口も二横指大に開大し分娩の徴候が見られていたこと、アトニンOの陣痛誘発剤に子宮が反応し児の娩出が可能であつたこと、胎児は死亡していたこと、分娩後子宮内溢血による弛緩性出血の発症等の合併症もみられていたこと、〈証拠〉によれば血圧八〇程度で腰椎麻酔による帝王切開は危険であることが認められることからすると、被告において当時ユキエに強い貧血症状が認められたため、帝王切開の危険を考えて経膣分娩の方法を選択したことは医師としての裁量の範囲内であつて不当とは言えず、この点に債務不履行又は注意義務違反があるとは認められない。

3  請求原因5(三)(経過観察不十分)の主張について

〈証拠〉によれば、本件が早剥であつたことから見てDICを伴う危険があること、弛緩性出血の可能性があること、更には鉗子分娩に伴う合併症(不完全子宮破裂)の起こる可能性があること等を考えれば、血管の確保、尿量測定等を施行し血液性状の検査を行なうことが望ましかつたことは認められるが、〈証拠〉によれば、

DICの概念は比較的新しいものであり、昭和四八年当時日本においてDICという言葉は使用されていなかつたこと、当時産科領域においてDICに対応するものとして産科的低線維素原血症という疾患があることは知られていたが、その発生機序については詳しく解明されておらず、一般の開業医には右疾患は血液凝固亢進物質が血液の中に入り血液中のフィブリノーゲンが消費され止血障害が生ずる疾患であり早剥に合併し生ずることがあるものとしてしか理解されていなかつたこと、そしてその治療方法も線維素原が低下するのでフィブリノーゲンを補うという程度であつたこと、その後右疾患はDICの産科的領域におけるものとされ、その本体は血管内で血液凝固をきたすため臓器に障害を生じさせるもので、フィブリノーゲンの低下はその症状の一部にすぎないことが判明し、治療方法も単に線維素原を補うだけでなく、循環動態を治すという方面に目が向けられるようになつたこと、従つて昭和四八年当時は一般の開業医には産科的線維素原血症は単に出血が怖いというにとどまり右疾患には腎臓機能の低下等の臓器障害が伴い、乏尿等の症状がみられることについては意識されていなかつたことが認められ、昭和四八年の時点では被告において尿量、血液の検査等をしてDICによるショックを予測してそれに対応する処置をとることを期待することはできなかつたというべきである。

従つて被告が、分娩後の子宮収縮が良好であり外出血が少量であることを確認しユキエを病室にもどして血圧等の検査をするにとどめたことは不当とはいいがたく、原告らの主張する債務不履行又は注意義務違反があつたということはできない。

なお、〈証拠〉によれば、当時はまだ各科が協力して治療を行なう集学的治療の態勢が十分でなかつたこと、又医学水準においてDICの治療方法が確立されていなかつたこと、従つて仮に他の病院へ転送する等の措置をとつたとしても、果してユキエのショックを防止し得たかは疑問であり、ユキエのショック防止との間に因果関係を認めることもできないので、この点に債務不履行又は過失があつたということはできない。

4  請求原因5(四)(救急措置の不完全)の主張について

〈証拠〉によれば、ユキエがショックに陥つた時点ではそのショックの原因から考えて同女を救命することは困難であつたことが認められる。

従つて被告においてあらかじめ血管の確保をせずショック後においても気道の確保をしなかつたことについては、ショックの際の一般的な救急措置として万全ではなかつたということが言えるにしても、それはユキエの死と因果関係のある債務不履行又は過失として認めることはできない。

五結論

以上判示のとおり被告の行為には何らの債務不履行又は不法行為上の注意義務違反も認めることはできないから、その余の事実について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。よつてこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官猪瀬俊雄 裁判官満田明彦 裁判官多和田隆史は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官猪瀬俊雄)

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